ワトルズラボ  自己実現研究室

習慣や考え方、行動を変えることで、年収300万円未満から年収1000万円以上を稼ぐようになった私のお金や成功にまつわる話を日々綴っていきます。自己啓発エッセイと思って読んで下さい。

ある日の午後に思ったこと

プロローグ

美味しいピザを食べさせてくれるところはないかとネットで調べて、サイトで1番のおすすめのところにやって来た。

 

店主がイタリヤで修業をしたというその店は、自分がよく知っている建物の前にあった。

 

その建物の前を通るたびに何となく気になっていた店がそれだった。

 

私は、そのよく知っている建物に向かってお辞儀をした。

 

知らない人が傍から見ると何をしているのだろうと不思議に思うかもしれない。

 

その建物は、リハビリに関わる人材を育成するための専門学校である。

 

私が、お辞儀をする理由を理解できるのは、私の家族だけだろう。

 

それは、10年も昔にさかのぼる話だ・・・。

 

長男の病気

私には、現在26歳と23歳になる息子がいる。現在26歳の長男は、作業療法士として病院で勤務している。

 

彼は、その専門学校を卒業し、作業療法士となったのだが、私がお辞儀をしたのは、そんな彼がお世話になった母校だからという理由だけではない。私の胸中にはもっと深い思いがあった。

 

高校を卒業して長男は、その専門学校に入学したのだが、もともと彼の思い描く人生の中には、作業療法士になるなどという選択肢はなかったはずだ。作業療法士という言葉さえも知っていたかさえ怪しい。

 

彼は、高校2年の時に脳出血を起こした。

 

もともと脳動静脈奇形という病気をもっており、それが原因だった。

 

緊急で病院に連れて行ったのだが、とてもショッキングな症状が表れていた。

 

長男は、こちらの言っていることは理解できるのだが、自ら表現できるように言葉を発せられなくなっていたのだ。いわゆる失語症になっていた。

 

私たち夫婦も当然本人も絶望的な気持ちになった。

 

ところが奇跡が起きた。

 

翌日に緊急オペが入り、脳の出血した部分を切除すると、彼は普通にしゃべりだしたのだ。

 

私はそれまでの人生で感謝したことはないぐらいに神様に感謝した。本当に奇跡のような出来事だった。

 

長男は、リハビリのため、転院し、1ヵ月程で退院した。そして、高校も留年することなく卒業できる運びとなった。

 

高校卒業後の進路を決める時に、彼から作業療法士になりたいので、専門学校に行かせて欲しいとの申し出があった。

 

リハビリの際、作業療法士の人と話をしたりするうちに影響を受けたようだった。

 

失語症を経験した人が、リハビリに携わる仕事をするのだ。そんないい話はないと思い、私たち夫婦は、「是非頑張れ!」と長男の背中を押した。

 

だが、ここで問題が生じた。

 

経済的な問題である。お金がないのだ。

 

私たち家族の20年

私は26歳で妻と出会って結婚したのだが、結婚当初から私には悪い癖があった。

 

仕事が長続きせず、転職を繰り返すのだ。

 

何度も転職をしていると、さすがに退職したいことを妻にはなかなか言えなくなり、私は妻に内緒で退職と転職を繰り返した。

 

問題は、本来入ってくるはずの収入が入ってこないことだった。

 

私は妻を騙すために、消費者金融からお金を借り、普通に給料をもらっている芝居を続けた。

 

当然、そんなことを繰り返していくと借金は膨らみ、内緒で出来ていた返済もままならなくなる。

 

結局、妻をはじめとする家族全員に知られることとなり、支払い能力のない私は破産してしまった。

 

26歳から20年以上そんな生活を送っていたので、私たち夫婦には、専門学校に子供を通わせるようなまとまったお金など残っていなかった。

 

人生の転機

奨学金と妻がなんとかかき集めたお金で、長男は無事専門学校に入学した。

 

だが、大変なのはそれからだった。

 

半年ごとに学費とテキスト代で、80万円ほどのお金が必要だった。

 

私はホテルのフロント業務をやっていたのだが、それではお金が足りず、掛け持ちでバイトをした。

 

妻も看護師をしていたのだが、かけもちで介護施設のアルバイトをやった。

 

それでもお金のやりくりは大変で、専門学校の半年ごとの学費の入金が遅れるため、毎回事務局に行っては、遅延依頼をお願いする有様だった。

 

仕事を掛け持ちすると、私は毎日3時間半の睡眠しかとれなくなり、妻も寝ずの仕事が続くようになった。

 

私はどこでも寝落ちするようになり、妻にいたっては、ごっそり髪の毛が抜けるようになった。

 

もう限界だった。

 

私は、腹を決め、もう一度苦手な営業職に就くことにした。

 

家族の為にする転職。私には初めてのことだった。

 

転職してから3カ月は苦しい生活が続いたが、営業で稼いだ歩合が入りだすと生活に余裕がでてくるようになってきた。

 

私はお金が欲しかったので、勤務する会社の社長の言うことを素直に聞き、一生懸命仕事をした。そして、お金に対する考え方や習慣や態度をいろんな話を聞いたり、本を読んだりすることで変えていった。

 

そうすると300万円にも満たなかった私の年収は、1年半で800万円となり、2年半で1000万円を超えるようになっていた。

 

年収が上がると共に、生活は豊かになり、専門学校の学費も遅れずに支払えるようになっていった。

 

長男は無事専門学校を3年で卒業し、今では影響を受けた作業療法士さんが勤務していた病院で毎日仕事に励んでいる。

 

私は、これまで自分勝手に好きなように生きていた。それは家庭を持った後も同じだった。

 

その犠牲は妻や子供たちだった。

 

だが、そんな私にふりかかった、長男の病気の発症とそれ以後のお金が必要になる生活が私を変えてくれた。

 

そして、そんな私を支えてくれたのが、妻をはじめとする周りの方たちや長男が通った専門学校の先生たちだった。

 

だからこそ、私はその専門学校の前を通るといろんな思いが去来して、頭を下げずにはいられなくなるのだ。

 

それは、感謝を示すとともに、初心を忘れないように今の自分を律するという私なりの儀式でもある。

 

ビジョンと困難

人には将来のビジョンが必要だ。

 

私は、子供に望んだ道を歩ませることがビジョンになった。

 

ビジョンが固まると度々困難が起きる。

 

でも、それはビジョンを持ったことで与えられる神様からの課題なのだ。

 

それを乗り越えると必ず、ビジョンは現実化し、希望に満ちた未来がやって来る。

 

つまり、ビジョンをきちんと見据えていれば、どんな困難も乗り越えられるということだ。

 

エピローグ

気になっていたピザ屋は、期待通り美味しかった。

 

今度は妻と一緒に行こう。

 

入道雲が青い空を背景にして、自己主張するようにそびえ立っている。

 

夏はもうそこだ。