ワトラーをはじめ、当ブログへお立ち寄り下さった皆さん、こんにちは!
ワトルズの教えの伝道師、金井戸隆(かねいどたかし)です。
今回は、『高潔な人になる科学』からお話しをさせて頂きます。なお、本文中の訳語や引用は、私の愛読書の『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)から抜粋しています。
↓ 日本で唯一販売されている『The Sience of Being Great』の翻訳本です。『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)
先日、名古屋の河村たかし市長が、オリンピック女子ソフトボール金メダリストの後藤希友選手のメダルを噛んで、非難されるというニュースが流れました。
意見は概ね、人様の価値あるメダルを噛むことやコロナ禍でマスクを外し、メダルに唾液をつけたことへの批判でした。
私も見ていてとても不快に感じるニュースでしたが、なんとなく、上記の意見ではないところに不快感を感じている気がしていました。ただ、それが何なのかよく分かりませんでした。
そこで気になって、どこが不快なのかをずっと考えていました。
ワトルズの教え:26.思考する時間を作る
ワトルズは、人が高潔であるためには、常に思考することが重要だと説いています。
どれだけ教育を受けようと、本を読み、勉強しようと、偉大な人間であると考えることなしに偉大な人間になることはできません。
しかし、適切な思考を身につけていれば、ほとんど学習しなくても、あなたは偉大な人間になることができるでしょう。
考えもせずに、本を読むことだけで立派な人間になろとしている人間は大勢います。
でも、彼らはみな失敗するでしょう。あなたは、読んだものによって精神的に成長するのではなく、それについて何を考えるかによって成長するのです。『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)
ですが、私には疑問が残りました。思考することは大切ですが、人が偉大であったり、高潔であるためには、思考よりも行動や人格の方が重要ではないかと思ったからです。
それに対し、ワトルズはこう述べます。
自分自身で考えるということがなければ、本当に偉大な人間になることなどできません。
人間の行動は内なる思考の表れであり、それ自体が完成したものです。
思考なしにはどんな行動も不可能であり、偉大な思考が先になければ偉大な行動もありえません。
行動は思考の第二の形であり、人格は思考を具体化したものです。「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)
なるほど、思考が行動より先にあり、人格を形成するということなんですが、ではワトルズの言う、「適切な思考」という行為は何をどのように考えればいいのでしょうか?
ワトルズは、こう言います。
リンカーンやそれ以前の時代の政治家たちは、永遠の真理にかかわる問題、すなわち人間の権利や正義についての問題に取り組んでいました。大きな問題を取りあげ、偉大な思考を行っていたからこそ偉大な人間になれたのです。
たんなる知識や情報ではなく、考えることが人格をかたちづくります。
考えることで人間は成長し、また、成長しなければ考えることもできません。『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)
人として正しいかという考え方
件の金メダルの件ですが、河村市長と後藤選手のやり取りを振り返ってみました。
河村市長は、後藤選手に会うなり、「でかいな、やっぱり。」と述べています。
実はこの発言ですが、悪気はなかったのでしょうが、背の高い女性の中には、そのことを気にされている方もいらっしゃいます。
また、この表現の仕方だと侮辱したと捉える方もおられるかもしれません。いずれにしても容姿の事を発言する時は、気配りが必要です。
そして、その後の後藤選手との会話でも、河村市長は敬語を使いません。
気さくさは大事ですが、初対面の上に、来客者は表敬訪問の名目で訪れている成人女性です。
私は、よほど幼い子供でなければ、初対面の人には敬語を使って話しますし、ましてや、それが二十歳を過ぎた社会人の方ならなおさらです。
その後、河村市長は、後藤選手が、「(金メダルを)持ちますか?」という提案を受けて、「せっかくなので、かけてちょだい」と返し、メダルを首にかけてもらった後に、例のメダルを噛むという行為に走ります。
私が不快に感じるのは、メダルを噛んだ行為そのものよりも、そのやりとりの中に透けて見える河村市長の若い女性を軽視している言動です。
つまり、もしあれがベテランの男性の選手であっても敬語を使うこともなく、同じようにメダルをかじったのかと疑問に思うのです。
河村市長が、人としての権利や正義を踏みにじったというと大袈裟に聞こえますが、少なくとも後藤選手に対して、人として間違った態度をとったと言っても過言ではないと思います。
そして、一番の問題が河村市長の反省の弁の中に見て取れるのです。
「最大の愛情表現だった。金メダル獲得は憧れだった。迷惑をかけているのであればごめんなさい。」
多分河村市長は何が悪かったのか分からないまま、問題の火消しの為、とりあえず謝ったのかもしれませんね。
つまり、河村市長は、何も考えようとはしなかったのです。それが一番の問題だと思います。
もしかすると日常の忙しさの為、公務以外のことを日頃から考えていないのかもしれません。
そのため、保身をするために「愛情表現だった」という意味不明の文言が入ったのかもしれません。
私は、ここで河村市長を断罪するためにこの出来事をあげたのではありません。この出来事がワトルズの述べる「思考することの重要性」を理解するのに良い例だと思ったからです。
もし河村市長が、日頃から人としての正しいあり方を思考していれば、こんな間違いを犯さなかったのではないかと思うからです。
思考を繰り返すことで、その人の核になる考え方が生まれると思います。
この人だったら、こんな出来事をこんな風に考えるといった価値観や思考パターンのようなものです。
それがあるので、人はその人たる所以があるのです。
そして、そういう人は過ちも犯しますが、その修正も容易に出来ると思います。なぜなら、核と違うものを例外として認識するか、核そのものを修正すればよいからです。
しかし、核がない人は、人としてのポリシーもなく、反応も日和見的になりがちです。
ただ、それを他人事として笑えない私たちの環境があります。
何もしない思考するだけの時間があるか?
私たちの環境はこの数年間ですさまじい勢いで変化しました。
電車やバスに乗れば、スマートフォンを見ている人が多く存在します。
私が小さい頃は、テレビの見過ぎに気を付けるよう言われました。
理由は、思考が止まるからということでした。垂れ流しの映像を見るだけで、考えることをしなくなるからだというのです。
それでもかつては、テレビは一家に1台が多く、テレビの見過ぎを指摘してもらえる風潮がありました。
ですが、今は一人で1台のモバイルツールを持ち、個人で様々の動画コンテンツが視聴できます。
恥ずかしながら、私もYouTubeが好きでよく見ているのですが、目的もなくダラダラと視聴した後の時間の浪費感と何も残らないという虚無感に愕然としたことがあります。
YouTubeそのものが悪いのではなく、1日の中で思考だけをする時間がないことが問題なのです。
もし、思考が難しいなら、たった2行でも3行でもいいので、ノートに思いつくことを書く時間を作ってみてはいかがしょう。
なんでもいいのです。静かに思考する時間を日常の中に取り入れて下さい。
今回のまとめ
- 思考だけをする時間を作る。
- 自分の考えの核となるものをつくる。
- 人として正しい判断をする。
- 考えを文字に起こしてみる。
皆さんのご意見が私の学びになります!コメントを宜しくお願い致します!
宇宙の叡智とワトラーの皆さん、そして最後まで読んで下さったあなたに感謝します!
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