ワトルズの教え~双極性障害の私が2年半で年収1000万円になった話とこれからの話

双極性障害があり、困窮していた私が100年以上も前に書かれた書籍を読み込み、実践することで経済的にも豊かになり、幸せになった話をときには楽しく、ときには大真面目に書いていきます。

ワトルズの教え 14 ~ 『高潔な人になる科学』より

ワトラーをはじめ、当ブログにお立ち寄り下さった皆さん、こんにちは!ワトルズの教えの伝道師、金井戸隆(かねいどたかし)です。

 

今回は、『高潔な人になる科学』からお話しをさせて頂きます。なお、本文中の訳語や引用は、私の愛読書の『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)から抜粋しています。

 

少し前に、「鬼滅の刃 無限列車編」というコミックを原作とした映画が大ヒットしましたね。

 

私は、よく知らなかったのですが、映画があまりにもヒットしているので、テレビ版のアニメを後追いで見てから、映画館に足を運びました。

 

やはり、多くの人が面白いというだけあって、とても楽しませてもらったのですが、私の個人的な見解を述べると、題材は目新しいものではありますが、本筋はこれまでの少年漫画の王道をきちんと踏襲した漫画だと思いました。

 

それは、無力な主人公が、目的をもってつらいことを乗り越え、大きく力をつけていくという、漫画や小説で好まれる主人公の成長の物語です。

 

人は、人が大きく変わっていく姿を見て感動するんですね。

 

ワトルズの教え:14.人を寛容的に見る

前回の『高潔な人になる科学』の教えで「この世は今のままで正しいと捉える」と述べました。

 

これは、社会に対する見方についての教えでした。

 

今回は、個々の人に対する見方についての教えとなります。

 

ワトルズは、人間を完成へと向かっている完璧な存在だと述べています。ですから、「悪い人間」もいなければ、「邪悪な人間」もいないといいます。

  

球根がやがて白いユリの花を咲かせるかどうかは、外からはわかりません。だから、球根をぞんざいに扱う物もいるでしょう。しかし、そこに白いユリが隠れているのを知っているなら、見かけだけで球根を軽視するのはおろかなことです。

 球根も、それ自体で完璧な存在なのです。まだ、ユリとして完成していないだけにすぎません。

 同じように、男であれ女であれ、外見にどんなに魅力がなくても、完璧な存在として見ることを私たちは学ばなければなりません。彼らは、いまの段階として完璧であり、完成へと向かっているのです。どんなものも、すべてはありのままですばらしいのです。このことを忘れてはなりません。

 『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)

 

つまり、もし欠点があり、愚かだと思う人がいたとしても、その人は成長して変わっていくので、今の段階では、それが完璧だと言っています。

 

私たちがこの見方に立てば、もはや他人を歩く木として見ることはなくなり、理想の世界がそこに出現するでしょう。

 口にするのはよい言葉ばかりになり、他人とかかわる場合にも寛大さを示すことができるようになります。他人を偉大な人間として見るようになり、その行いにも立派な態度で接しはじめます。

 『「思い」と「実現」の法則』(ぎんが文庫堂 佐藤富雄 監訳)

 

人をそのままで完璧な存在だと見ると人を寛容的に見ることができ、すべての人に節度ある態度で接することが出来ると言うのです。

 

 ちなみに寛容とは、広い心で他を受け入れる態度のことです。

 

たとえば、もし自分とは異なる意見や価値観があっても、安易に拒絶せずに、許容しようと努めたり、他人の失敗や失礼な振る舞いをことさらに咎めだてせず、許そうとする姿勢を指します。(実用日本語表現辞典 参照)

私の経験 ~ 次男に厳しかった私

私にはふたりの子供がいます。子供といっても、ひとりは今年で26歳になり、結婚して子供もいますし、もうひとりの子供も22歳の社会人なので、子育て自体は終わっています。

 

ふたりは共に男なのですが、私は結構厳しく接してきました。

 

もともと、私には父親が物心ついた時からいなかったので、真似をする父親像がありませんでした。そのため、子供たちの教育の為にどんな父親になるのがいいのか、結構真面目に考えていました。

 

すぐ隣に妻の両親、つまり、子供たちからするとおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいたので、何かあるとそこで甘えるだろうと思い、私は恐い父親になろうと思ったのでした。

 

ですから、子供たちが思春期の頃は、私が家に帰宅するとリビングにいる子供たちが蜘蛛の子を散らすようにいなくなるということがよくありました。

 

それほど子供達には厳しく接していました。

 

そのなかでも、とりわけ次男には厳しく接していました。

 

といういのも、次男と私は趣味嗜好や考え方がよく似ている為、次男の気持ちや行動パターンがよく読めていたからです。

 

どうしても次男の悪い所や治すべきところの方に目が行くのです。

 

ただそれは、些細なことばかりでした。

 

例えば、休みの日に隣で家事をやっている妻を傍にいながら手伝わなかったり、部屋や勉強机が乱れていて汚かったり、玄関に靴をきちんとそろえて置かなかったり、また親のサインがいる学校の提出物を締め切り日の朝になって慌てて出すというようなことだったりしました。

 

結構自分本位で周りへの気配りが出来ていないことに私は怒っていました。

 

ですから、小さい頃から次男には、しょっちゅう小言を言っていました。

 

「次男は気が利かない。」「次男は自分のことしか考えれない。」そう思うと次男の良いところに目がいかなくなりました。

 

そうなると次男には常に小言ばかり言って、褒めることなどほとんどなくなってしまいました。

 

そのため、次男はある程度大きくなってからは、私とふたりで居るのを避けていたと思います。

 

私は自分の言っていることは間違っていないと思っていましたが、同時に次男との親子関係が空虚なものだとも感じていました。

 

私の実践 ~ 次男への接し方を変えた私

「ワトルズの教え」を実践する際、この個人に対する考え方や接し方を変える実践が、私には一番難しく感じました。

 

なぜなら、今回の教えを知った時、一番に次男の接し方を変えなければならなかったからです。

 

まず私は次男への小言をやめました。

 

家事を手伝う必要がある時には、自分が一番に手伝うようにし、自身の部屋をきれいにはしても、次男の部屋には干渉しないようにし、靴もそろえてなければ、私が一番にそろえるようにしました。

 

傍から見ていて次男の行動で、妻が手を取られていると感じた時でも、そのことは妻が指摘することなので、私が口にすることをやめました。

 

もちろん、そんなことをしていると私なりにストレスがかかりましたが、その時は次男はまだ、学びの最中だと考えるようにしました。

 

そして、次男は今のままで完璧な存在なんだと思うようにしました。

 

そう思うようにすると、次男への印象が少しづつ変わってきました。

 

彼は、「気が利かない」のではなく、「気が付かない」だけであり、「自分のことしか考えれない」にではなく、「自分のことで精いっぱい」だったのです。

 

決して思いやりがない訳でなく、自身の価値観の範囲では他人に限りなく優しくできる性格で、他人との人間関係には、かなり気を使っていることに気付きました。

 

そんなことを続けているとふたりでいることも多くなり、次男とよく話すようになりました。

 

話すようになると、次男のことがよく分かるようになり、私と似ているところもあるのですが、全く価値観か違っているところがあることにも気が付きました。

 

次男自身も私の考え方や価値観が理解できたのかもしれません。

 

この考え方や価値観の相違を尊重することが、親子であれ、夫婦であれ、他人様とのお付き合いであっても大切なんだと思います。

 

そして、そんな相違を知る為にもコミュニケーションは大切なのだと気付かされました。

 

次男は現在22歳。社会に出たばかりで、まだまだ未熟で成長の途中にいます。

 

ただ私は、彼が主人公の人生という物語の中で、未熟な主人公が成長する姿をワクワクしながら見ていきたいと思うのです。

 

今回のまとめ

  1. 人を寛容的に見る。
  2. 人の悪いところを見つけたら、自分にもそういうところがないか確認する。
  3. 人の悪い面が見えたら、いい面も探してみる。
  4. 同じ時代に生きている全ての人に敬意と愛情をもって接する。

 

今回はここまでです。コメントを是非お願いします!

 

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kotoshotenさんに依頼した挿絵。たくさんの人が山に登っています。今いる場所はそれぞれ違っていますが、めざすところは一緒です。各々のペースで上がっていけばいいんです。

 

宇宙の叡智とワトラーの皆さん、そして最後まで読んで下さったあなたに感謝します!