ワトルズの教え~双極性障害の私が2年半で年収1000万円になった話とこれからの話

双極性障害があり、困窮していた私が100年以上も前に書かれた書籍を読み込み、実践することで経済的にも豊かになり、幸せになった話をときには楽しく、ときには大真面目に書いていきます。

クズな私の話 ~ ワトルズの教えと出会うまでの悲惨な生活②

こんにちは!ワトルズの教えの伝道師、金井戸 隆と申します。

 

今回も前回に引き続き、私の生い立ちを書いていきます。

 

自分のくだらない生い立ちなど、恥ずかしくて、あまり人に話したことはありません。しかし、ここを通過しなければ、今後書いていくワトルズの教えを実践した記事に説得力が生まれないと考え、書くことに致しました。

 

母とふたりの穏やかな生活

父親と離婚した母とは、福岡市に移り住みました。2階建ての古い木造のアパートが母との新しい住処でした。アパートといっても1階に2つ貸店舗があり、そのそれぞれの貸店舗の上に居住用の貸部屋が一つずつあるという小さなアパートでした。

 

キッチンもお風呂もおんぼろで、今思うとそれが母の払える家賃の限界だったのだろうと思います。母は父親から慰謝料はおろか、養育費さへも貰っていませんでした。

 

「ここでお母さんとふたりで住むけん、もう引っ越しせんでいいとよ。」という言葉に、子供ながらに私は安堵していました。小学3年生に上がる頃から夏休みまでの4ヶ月間で、私は3度引っ越しをしていました。

 

引っ越す度に熱を出していたのを覚えています。もう引っ越しは懲り懲りでした。

 

そこから私は、小学3年生の夏休みの出校日から登校し、母親との穏やかな日常が始まりました。母は大規模チェーン店のファミリーレストランで働き始めます。このおんぼろのアパートにはおよそ11年ほど住むことになります。

 

おじさんとの出会い

私はこの頃、私の一生の恩人となるおじさんに出会います。おんぼろアパートを探して手配してくれていたのも、そのおじさんでした。

 

おじさんといっても、関係でいうと母の父親、つまり私の祖父のお兄さんの子供ということで、そういう関係の親族をなんと呼ぶのかあらためて調べてみると「いとこ違い」と呼ぶようです。

 

母からすれば「いとこ」、私からすれば「いとこ違い」のそのおじさんを下の名で、私は「○○おじさん」と呼んでいました。

 

おじさんは長崎県対馬というところで生まれたのですが、早くから父親を亡くし、苦労したとのことでした。そういった時に自分の叔父さん、つまり私の祖父にとてもよくしてもらったとのことで、祖父は既に亡くなっていましたが、その時の恩返しを祖父の子供である母と孫である私によくすることで、祖父への恩返しをしたいと考えていたようです。

 

実際おじさんからは、ここに全てを書き出せないほどよくしてもらいました。

 

おじさんは、福岡市内でクリーニング店を何店舗も営んでおり、とても裕福でした。早くから母親とふたりだった為、同じ境遇の私をとても可愛がってくれ、自分が味わったひもじい思いやみじめな思いを私にさせたくないという気持ちから、しょっちゅう外食に連れて行ってくれたり、お小遣いをくれたり、いろいろな所に遊びに連れて行ってくれたりしました。

 

なかでも映画には、土曜日の夜によく連れて行ってくれ、私はそれをとても楽しみにしていました。いずれ、このブログで、ワトルズの教えで分析する映画紹介記事をあげていきたいと思いますが、私が映画好きになったのは、まさにこのおじさんの影響でした。

 

中・高・大学の私

母子家庭で育てられたお子さんがよく、「お母さんを早く楽にさせてあげたかった」というお話をすると、私は自分がとても恥ずかしくなります。

 

私の中学・高校・大学時代は、母の、子供に苦労はさせたくないという頑張りとおじさんからの助けによって、何不自由のない生活を送っていました。母が苦労をしていると気付く想像力もなければ、そんな母やよくしてくれるおじさんに感謝するという気持ちをその時は持ち合わせていませんでした。最低でした。

 

中学校では、バスケットボールにいそしみ、全然勉強をしていないため、成績は悪く、中3の夏休みから塾に通い、無駄なお金を母親から捻出させておきながら、高校はお金がかかる私立にいくという始末。

 

大学受験も失敗し、1年間予備校で高い学費を親からむしり取り、結果、やはり、これまたお金がかかる地元の私大に行くのでした。

 

私はクズでした。

 

今は母もおじさんもこの世にはいません。私に限りない愛情をそそぎ、幸せな子供時代を築き上げてくれたふたりに十分な恩返しもせずに、私はふたりを見送ってしまいました。

 

なぜそんなことになったかは次回に書きます。自分のお話しするのも恥ずかしい20年間の話です。

 

私は、ワトルズの教えを学び、周囲の人からもたくさん助けて頂いたことで、現在の経済力を得て、考え方や思いも当時と変わりました。ワトルズの教えを素直に受け入れる土台があったからだと思っています。

 

その土台は、母子家庭の小学生の私に言ったおじさんの一言が作ってくれたのだと思います。その言葉は小学生の私にも腑に落ち、生涯を通じて、私が、そのようなものの見方ができるようになった、おじさんのくれた宝物のような一言です。今回はその言葉を書いて記事を締めたいと思います。

 

「今の自分を不幸と思ったらいかんばい。お前は人が経験できん経験をさせてもらいよっちゃけん。」

 

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kotoshotenさんに依頼したイラスト。母が父親と離婚してくれてほっとしていました。母といるといつも夫婦喧嘩になっていたので。

宇宙の叡智に感謝します。