ワトルズの教え~双極性障害の私が2年半で年収1000万円になった話とこれからの話

双極性障害があり、困窮していた私が100年以上も前に書かれた書籍を読み込み、実践することで経済的にも豊かになり、幸せになった話をときには楽しく、ときには大真面目に書いていきます。

クズな私の話 ~ ワトルズの教えと出会うまでの悲惨な生活①

こんにちは!ワトルズの教えの伝道師、金井戸 隆と申します。

 

このブログを書き始めてから、年収が1000万円になったことやワトルズの教えを書籍に沿って、私なりの解釈や実践したことを書いておりますが、私の個人的な話が少なく、どういう人間がどう変わったのかが書けておりません。そこで今回から連続で、私のこれまでのことを書こうと思います。

 

たった一人でもいいので、思うように人生がいっていないと感じている人が、私のこのブログを見て、こんな人でもこんな年齢から思い通りの人生に変えることが出来るのだと興味をもって頂いて、ワトルズの教えを生活に取れ入れることで、思い通りの人生を手にして下さればいいと考え、私はこのブログを書き始めました。

 

ですので、大変恥ずかしいのですが、これまで人に話したことのない、クズな私のどうしようもないこれまでの話をしたいと思います。

 

福岡で生まれる

私は1968年(昭和43年)に九州の福岡で生まれました。家業を営んでいる父親の家に、母が嫁いだのでした。家には父方の祖父と父親の妹二人が同居していました。

 

後から母に聞いた話によると母はあまり祖父からいい対応をされていなかったようです。

 

なぜそういうことになったかは、今となっては分かりませんが、私と父親と母の3人は大阪に引っ越すことになります。私が5歳か6歳ぐらいの時だったと思います。

 

父親は兄が経営する会社に勤め、母は製薬会社に勤務していたと記憶しています。

 

後から母に聞いた話ですが、この時父親は女遊びが酷かったらしいです。

 

確かにこの頃から父親と家に居たという記憶があまりありません。

 

そして、両親が夫婦喧嘩をよくしていたことを覚えています。夫婦喧嘩が始まると私はいつも泣いていました。喧嘩の際、父親か母親か、どちらかが投げたみかんが私に当たったことを記憶しています。

 

ヤクザに追われる

そして、突然私達家族は、大阪を離れることになります。

 

これも今となっては詳しいことは分かりませんが、父親とその兄が、ヤクザのような人達に追われることになったからのようでした。

 

どこに引っ越すかは、友達に言ってはいけないと言われていたのをこの記事を書きながら思い出しました。ちょうど小学2年生を終えた頃でした。

 

私と母親だけが、どういう訳か北九州市に住む母の弟、私からすると叔父になる人の家に転がり込むのでした。

 

そこで小学校3年生を迎えるのですが、在籍期間はわずか1週間。

 

逃げるように叔父の家を後にするのでした。なぜかは不明ですが、やはり追手が迫ってきていたのだと思います。

 

これもどういう経緯かは分かりませんが、私と母は二人だけで、福岡県古賀町(現・古賀市)というところにアパートを借りて住むことになります。

 

そこで私は夏休みまでの1学期間を過ごすことになります。

 

母は食料品製造の工場で勤めていたと記憶しています。

 

大阪から比べるとここは、とても田舎で、川で友達とザリガニをとったりなどして結構楽しんでいた記憶があります。

 

ここでは、細かいことは覚えていませんが、時折顔を出す父親から「お母さんは出ていくので、お父さんと一緒に住む。」と内緒の話をされ、不安になって、夜中布団の中で一人で泣いたことやしばらくして、夜に突然訪問してきて、母と揉め始めた挙句、私を「行くぞ」と連れ去ろうとした父親のその手を「お父さんとは絶対行かん!」と怒りにまかせて振りほどいた記憶があります。

 

結局母は、私が小学3年生の時父親と離婚しました。

 

長くなりました。今回はここまでです。

 

偉人でも何か大きなことを成し遂げた訳でもない私のような者の、こんな話を最後まで読んで下さった方に感謝いたします。

 

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kotoshotenさんに依頼したイラスト。大阪の幼少時代を私の母の気持ちになって描いてくれたようですね。先が見えなくて不安だったと思います。でも、子供の私にはそんな素振りを見せてなかったので、何の心配もしていませんでした。母の手はいつも温かかったです。素敵な挿し絵をありがとうございます。

宇宙の叡智に感謝します。